つぶりんの独り言 by tsuburin

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2010年 08月 06日

追憶の彼方に・・・

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撮影 SIGMA DP1 使用
のんびりとしたJR亀戸駅施設の一角
野花が咲き東京とは思えない風景
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撮影 SIGMA DP1 使用
JR総武線亀戸駅から越中島方面に延びている貨物線の橋台
この貨物線の歴史も古いようです
煉瓦で作られた橋台が時間の経過を感じさせています
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撮影 SIGMA DP1 使用
貨物線に隣接している公園
近所の子供たちが遊んでました
画面奥の土手が貨物線になります
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撮影 SIGMA DP1 使用
周辺も整備され、マンションも立ち並んでました。
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撮影 SIGMA DP1 使用
母が子供の頃、この貨物線の土手に上がり貨物線がやって来て
手を上げると現JR亀戸駅(当時は省線と呼ばれていた)まで乗せてくれたそうです
・・・母談
のんびりとした時代だったのかも知れません



東京大空襲の時、江東区一帯は炎に包まれすべての建物は焼失
人々は猛火の中 右往左往し逃げ惑ったという
建物に避難した者 川や運河に避難した者・・・

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撮影 SIGMA DP1 使用 トップに上げたのどかな一角がちらりと
現在のJR亀戸駅/京葉道路付近の風景
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撮影 SIGMA DP1 使用 のんびりとした現JR亀戸駅施設の一角

以前NHKkドキュメンタリーでも特集されていたが
この場所もまた多くの人々が逃げ込みたどり着さ折り重なるように
避難していたという・・・ 推定約300名死亡



南砂町に住んでいた母はこの東京大空襲の生き残りの一人である
猛火の中荒川の土手にたどり着き生き延びた
川といえ浮かんだ油に火がつき炎となったり
いかだや材木も燃え上がり
乗っていたり掴まっていた人々は焼かれ溺れ死んでいったという
後日運河や川には死体が溢れていたそうである・・・母談
母はその時に背中を焼かれてる。

母と家族は現在の千葉県市川市まで徒歩で避難
落ち着いた頃南砂町へ徒歩で帰路に着いたという
母の家族は・・・
長男(大正生) 旧日本陸軍中尉 ニューギニア戦線において戦死
次男(大正生) 旧日本海軍乗組員 南方にて終戦 帰国 その後82歳で病死
三男(大正生) 旧日本海軍連合艦隊乗組員 英虞湾にて終戦 前線の将兵収容に携わり南太平洋へ
      後 帰国 その後79歳で病死
祖父(明治生) 戦後まもなくGHQの自動車にはねられ事故死
・・・以上 母談
祖母(明治生) 91歳で死去
他の兄弟姉妹 母 とも現在全員生存

帰路の途中・・・
母 『ネエネエ、とうちゃん っ♪ なんでぇ お人形さんがいっぱい転がっているの♪??』
祖父 『・・・バカッ!! それは死体だっ!!!』
・・・当時母15歳 母談

約5ヶ月後 戦争は終結した
65年の時間が流れている・・・
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by tsuburin | 2010-08-06 09:22 | 東京見物


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